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Diary
■ クラッシュからの勝利
  ブラインドコナーの恐怖

韓国2002KMRCシリーズも3勝しましたが、1ポイント差でタイトルをまた逃してしまい、TEAMに申し訳ない気持ちでいっぱいでしたので、是非とも今年最後のチャンウォンスーパープリレースはブッチギリで勝ちたい思いで11月22日現地入りしました。
早速友人の浅井君とコースを入念に歩き走行時間も少ないのでイメージトレーニングをしました。金曜日の午前から走行が有り、自身満々にコースインしましたが、全然思うように走れず4番手タイムになってしまいました。
すぐにメカニックのテーヒィーさんとシンさんとショックやギャー比のことを3人が納得するまで話し、午後の走行に備えました。しかしF−3の相次ぐ大クラッシュにより午後の走行がキャンセルになってしまい、そのまま
土曜日の予選と言うことになりました。そしていきなりの予選アタック!!
ホイールスピンをさせタイヤを暖め計測開始・車は昨日と比べ物にならない位良く「これなら行けるっ」と思いました。何を変えたかはナイショです(笑)2周アタックしてピットインそして細かな所を再度セッティグしてまたコースへの繰り返しで本当に思いどうりの車に仕上がってとてもうれしかったです。(^^)しかしサインボードP1の文字を確認した次の周とんでもないことになってしまいました。3コーナーの先が見えない所に他の選手がスピンしてたんです。その車に時速130キロ以上で私は突っ込みました。
その時の状況を詳しく話すと、相手の選手はレコードライン上でスピンして
1分間車に乗ったままでしかも1つ前のポストでは黄旗が出でいませんでした。
私はアウトラインいっぱいまで車速をのせる為に使っていたのでどうしても避けきれず、あと出来ることはわざとスピンさせて当たることだけでした。
そしてバッンボンと大きな音をたててジャンプしコースの進行方向の丁度反対向に車がなり止りました。結果私の右後ろと相手の左前がわが当たった形になります。身体は首が少し痛かった以外全然問題無かったのですが、車は酷く壊れてしまい明日直るかな〜と思って相手の車を見たらまだ選手が乗っていたんです。直ぐにレスキュー隊が来て大変なことになりました。
私は何で旗が出ていない?何で選手が1分間も車から降りない?ミニョンギー選手の足は大丈夫か?車は明日のレースまで治るのか?と自分でどうしょうもなくなりかなり落ち込んでしまいました。ですが後でTEAMに足の状況を確認した所レースには出場できないが骨折もしていないと聞きホッとしました。後は私の車だけです。E−REINTEAMが協力して頂いたお陰も有り朝6時半に無事完成!!メカニックには本当に感謝しています。
明けて日曜日決勝 そこにはミニョンギー選手も見に来ていて私が「ごめんねー」と言うと「いいえ私が悪いのです」など会話をしました。
そして時間になりコースイン!!ピットから離れマシーンを確認してグリットに止りました。真っ先にメカニックがとんで来て車大丈夫?と聞いて来ました。その時の顔は今でも忘れられない位不安かつ真剣な表情でしたので
本当のことは言えませんでした。言った所でどうなる訳でもないし、ドライバーがコックピットに座った時点でメカニックの仕事は終わりだからです。
フォーメーションラップを終えスタート!!かなりホイールスピンしましたが何とかTOPで1コーナーへ入ることが出来、後はOILBANKのジャンスノー選手と一騎打ちになりました。彼はこのコースを得意としていて、
2勝した実績を持ちます。私は彼の速い所と自分の速い所を見極め冷静に走りましたが実は昨日の事故で私の車はブレーキに不安を抱えていたんです。正直ヤバイ抜かれると思いました。ですが3コーナーの手前でジャン選手が私の左後ろに当たりその時に彼のウイングが曲がったことで非常に楽な展開になりラストラップには7秒のリードを築くことに成功しました。
ですが何とファイナルラップのヘヤピンコーナーの手前でエンジンが1回ストップストップしたんです。恐る恐るメーターを見たらバッテリィーが9.4Vしかないのでエンジン回転を上げず走行しました。何とかゴールしTOPでチェッカーを受けましたが2位の選手とは3秒差にまでなっていました。色々ありましたが、改めて勝つことはラッキーも含めた、みんなの努力の結晶見たいな物だと考えさせられたレースでした。