Diary & Column

<< back
室岡 Column 1
■ 「フォーミュラドリームという名の"ドリーム"」
  〜新たなステップを歩み始めた良平へ〜

モータースポーツは金がかかる。誰もが口にする言葉であり通説であるが,残念ながら真実である。
現在の我が国の最高峰・フォーミュラニッポンを見て欲しい。服部・野田・影山選手を最後に、底辺から這い上がってきた選手は久しくいない。多くはⅡ世、もしくは裕福な家庭に育ったドライバーである。
鈴木亜久里氏言わく「モータースポーツも生まれながらにして持つ才能が左右する部分が多分にある」というが、その才能の持ち主がⅡ世・金持ちである可能性は極めて低く、まだ見ぬ才能の発掘の為、スクールやスカラシップといった形でそれらを掘り起こすムーブメントが存在する。「フォーミュラドリーム」、その最もメジャーな存在である。本田技研工業が礎になり、既述鈴木氏が現場責任者として指導にあたる、実戦を取り入れたレーシングスクールである。誌面に限りがあるのでその詳細は割愛するが、1年間の受講費は1200万円である。国勢調査結果による日本人の平均年収が5百万円を超えるかどうかと言われるこのご時世に、1200万円である。もちろん本田技研やこれに携わる事業者達がボッタくってるわけでも何でもなく、むしろ彼らにとっても赤字を創出する投資事業であることは明らかだ。つまりはどう転んでもお金がかかるということだ。
サッカーはスパイクとボールさえ買えれば、誰にでも中田英寿になれるチャンスがある。野球だって陸上競技だって、一般家庭に育った「普通の子」誰にでもほぼイコールのチャンスがある。しかし日本に冠たる大企業が支援しても、これだけのお金がかかるのがモータースポーツというスポーツなのだ。
従って今では、上述の3選手に代表されるような「食うものも食わず、サラリーを全てレースに注ぎ込んでチャンスを掴む」というドリームは、もはや過去の遺物と化している。残念ながらフォーミュラに関しては、幼少の頃からカートに乗り、しかもそれを継続し続けられた者の中からの選抜になっているのだ。
もちろん私はここで、その現象の是非を問うているのではない。ただ現実として、女の子が力士になりたいと言うのと同様「不可能」なことなのだ。その事実を隠匿若しくは虚飾されたままの姿でしか伝えらていないこと自体が悲劇の始まりなのだ。

阪口良平、ご存知MAX RACING の社員であり、レーシングドライバーである。
昨年そのフォーミュラドリームに挑戦し、シリーズ4位という結果を出した。今年も引き続き開幕と第2ラウンドに参戦したが、この先同時に参戦している韓国の選手権と日程が重なる点、そして金銭的な理由により第2ラウンドを以って参戦終了となった。
阪口はⅡ世のドライバーである。父親が元レーシングドライバー、実家がカートショップという恵まれた環境に育ったので、この世界にはすんなり入っていくことになった。カートで全日本を経験後、4輪に駒を進めてF4・F3・シビック・S耐と渡り歩いて、昨年26歳という年齢でフォーミュラドリームに辿り着いた。つまりあらゆる試行錯誤を繰り返し、年齢を考えれば最後のチャンスとばかりにフォーミュラドリームを選択した形だ。しかし結果はシリーズ4位、この時点で彼の中では結論が出ていたのだろう。
彼が途方も無い金持ちの家庭に育っていて、万全の体制でF3に乗れていたら・…4輪に転向する時にフォーミュラドリームが存在していたら・…全く違ったキャリアを築いていたのかもしれない。しかし運命とは時に非情なもの、重ねてきた年月をリセットすることはできても、遡ることはできないのだ。
F1を夢見て、F4時代は神童と騒がれた若者も、今静かにフォーミュラのあの小さいステアリングを置く決意をした。彼が今後、レースとどういう関わり方をしてゆくのか私は知らない。ただお金持ちのサラブレットのみに門戸が開かれたこの狭い村社会に、彼なりに訣別の決心をしたのは英断と評したい。
スターリング・モスが今の時代のF1マシンに乗ったら常勝を誇ったかもしれないと思えるように、メーカー自らが和製ドライバーの創出に躍起になり始めたこのタイミングに、阪口がちょうどカートから上がってきたという巡り合わせだったら、もしかするとPIAAナカジマレイナードに乗って勝ちまくってかもしれないのだ。
こればかりは何を憂いても仕方がないと悟った27歳の若者が、また違ったアプローチでこの世界で名声を得て欲しいと、私は心より願っている。
マシンを何台壊しても金の心配が無いという者は、いつでも限界ギリギリのテストやレースができるだろう。乱暴な言い方だが、「速くなって当たり前」だ。
しかし一昔前、まだこの世界も金回りが潤沢ではなかった頃、「車を壊さないドライバー」というのが重要なプレステージでもあった。その与えられた環境下でBESTの結果を出すのがプロというものであった。そんな時代があった。
私は関谷正徳選手が、マシンを再起不能の全損にしたのを見たことがない。一方で高木虎之介選手は、何台のフォーミュラトヨタとF3を葬っただろうか?もし関谷選手が20代の若者で、高木選手が関谷選手の世代だったとしたら(つまり生きてきた時代が違っていたら)、今ごろ関谷選手は静岡で豆腐屋を継いでいたかもしれないし、高木選手も?木産業の代表取締役だったかもしれないと私は常々考えている。
良平、この期に及んで運命の巡り合わせを憂いてはいけない。君が有能なドライバーだということは、私もよく知っている。君のそのプレステージを求めるチームやスポンサー、地域やカテゴリーが必ずやあるはずである。その活路の一つとして韓国での今のレースがあると私は理解してる。
今はただ、今まで君のレースを支えてくれたスポンサー様やご家族の皆様に感謝の念を持つことが、次のステップへのスタートラインだと私は思う。